兄のせい...親のせい...?
インド留学、一人暮らしもできず、悶々としていた頃に、例の(笑)DV君と出会いました。DV君は『誰かのせい』にするのが得意でした。
私も、留学や一人暮らしが出来なくなったのは、『兄が死んだせい(兄ごめんなさい)子離れできない両親のせいだ』と『人のせい』にしていました。
そして、後悔していました。
類は友を呼ぶとは上手く言ったものです。
DV君と私は、『人のせい』にして自分を正当化していたのです。人のせいにすることは、人の不幸を聞くようにそれはそれは、甘美なものでありました。
親が泣こうがわめこうが、非常識と言われても留学し、やりたいことをやっても良かったわけです。結局、私自身の留学への決心が弱く、覚悟ができていなかった...だけなのです。
今は、わかります。
『今の自分は、自分が今までの人生で、選んできた結果だって...』
『小さな選択を毎日重ねた結果が今の私だって...。』
『人のせい』にすると、とっても楽ちん!
でも『人のせい』にしているうちは、自分の人生を歩んでないっていうこと。
自分の人生を人にゆだねているのは、カッコ悪いということに30歳すぎてから気付きました。
遅いっっ???
いやっ気付いただけでも今の人生での収穫は大きいと、思っています。
20代前半はずっと、何でもかんでも、家が貧乏だから、環境が悪かったから、勉強が嫌いなのは、先生の教え方が悪かったから、頭が悪いのは遺伝だから、顔が悪いのは親に似たから、スタイルが悪いのは親のせい...ぶつぶつぶつぶつ...
今思い出すと、笑っちゃいますが( *´艸`) 当時は本当にこんな感じでした。
なんでもかんでも、人のせい、たいした努力もせずに...
兄のせいではなく、親のせいでもない。
全ては自分が選んできたこと。
DV君と出会い、歪んだ愛(歪んでる時点で、愛と言えるのか疑問ですが)の中で恋愛ごっこを営み、そのままDV君の求婚を受け入れていれば、きっと今頃『2人で地獄に落ちていたか、離婚に至っている...』だろうな。
このDV君、今は実業家として成功していて、ブログなどで、豪遊っぷりを見せている。たまに、こやつと一緒なら贅沢な暮らしだったのかな?と思う。
庭に設置された、子どものプールが6畳くらいあった |д゚)(プール作ったほうが早くない?と一人突っ込み)プールの趣味で喧嘩しそうだ(笑)
反面、贅沢でも、本当の私を押し殺し、彼の母親の穴埋めのために、自分自身を捧げることは、やはり無理があっただろうな~と思う。
そのまえに、他力(夫)ではなく、自分で稼ぐことが、自立の第一歩!ですよね。じゃないと、心の自由は手に入れられません。
でもね、今は、理解できる。
DV君も被害者だと。
だからといって、一緒に地獄に落ちることはできない。
ここで私の教訓
『人生、出会ってはいけない人が居る!』
『やばいかな?とちょっとでも嗅覚で感じたら、獣のように本能のあるがまま、逃げるべし!逃げてもい!危ない奴からは、バックれるべし!!』(笑)
怖い思いや理不尽なことが沢山あったけど、DV君との3年間があったから、今の私がいる。勇気をだして、別れることができ、DV君から解放された。
DV君と付き合っていた頃は、兄や親を恨んでいた。DV君(人のせい)から解放されることによって、兄や親への恨みからも徐々に解放されていった。全機種開放( *´艸`)みたいに一気にはこなかったけど(笑)
『ひとのせい』にすることは『他人に依存』しているということ、DV君とさよならできたことで、『他人への依存』を少しずつ解放することができるようになった。
『自分らしく生きる』ということは、自分を大切にすること。
それが、心の平和につながって、人にも愛を送れるんだと思う。
自分の精神安定が、自分にとっても、周囲にとっても一番大切なことだと、少しずつ気付き始めた20代後半でした。
今回、支離滅裂な文章でした。まとまり悪くてすみません。
いつ結婚話がでてくるの?と思われていますよね?
もう少々お付き合いくださいませ(∩´∀`)∩