兄が死んだ
ジリリーン ジリリーン
夕方、黒電話が鳴り響く。(当時、自宅電話は黒電話が主流)
私は、電話にでた。
『警察です。Mさんのご家族ですか?Mさんは、自動車事故に合われ、現在病院に居ます。すぐに病院まで来てください』
私は、頭が真っ白になりそうだった...
しかし、あの兄のことだ(体格が良かった...)たいしたことはないだろうと思い、母に電話の内容を伝え、父が丁度帰宅したので、3人で病院へ向かった。
家族全員が、たいしたことはないだろうと思っていた。
病院につくとしばらく待たされてから、救急センターの医師の説明があった。
医師はCT撮影の結果、大動脈が事故の衝撃で損傷していて、そこから出血しているので、緊急手術をすると...今は奇跡的に意識があるが、この状態で意識があるのが不思議で、とても危険な状態だといった。父は蒼白な顔で手術に同意した。
医師の説明のあと、兄に会えた。医師の説明からひどい状態を想像していた私だが、兄に外傷はほとんどなく、体のどこからも出血していなかった。
医療知識のない私たちは、大動脈からの出血が、どれほど大変なものか、理解できていなかった。
ただ、外傷がなく、普通に話せている兄がここにいることに安堵した。
それでも兄は『背中が痛い、背中が痛い』としきりに言っていた。
私は、兄のコンタクトを外しながら『痛いっていうことは、兄ちゃん!生きてる証拠だよ!頑張れ!』と兄に言った。
それが、兄にかけた最後の言葉となった。
兄は手術室へ
その頃、兄には結婚を約束していた恋人がいた。妹からみても素敵なカップルだった。この人がお姉さんなら嬉しいなと思っていた。
いずれ、兄が結婚して子どもを作り、両親に孫の顔を見せてくれるのだろうと勝手な想像をしていた。その頃の私は、両親や家に対して、責任感というものが、まるでなかった。
その恋人と私たち家族と親戚が長い長い手術時間を待った...。
手術が終わったと家族の呼び出しがあり、兄が死んだことを手術の執刀医から聞かされた。
まさか...まさか...うそでしょ?
執刀医が言うには、手術が始まってすぐに、大動脈が破裂して大出血したと。
人口心臓も当時はなく、とにかく血管を閉じたがうまくいかず、1時間以上医師が交代で心臓マッサージを試みたが、意識も戻らず、心肺停止から回復させることはできなかったと伝えられた。
兄が安置された部屋に通された。そこには、血の気の引いた真っ白な顔の兄が居た。まだ少し温かかった。
痛みと恐怖のなかで、どんなにか、辛かっただろう。なのに最後の言葉が、あんなに乱暴な物言いで終わった私自身に後悔の念が残った。
父は兄にすがり、泣き叫んだ。
『おい!!M!!起きんか!!帰るぞ!!おい!!!起きんか!!!早く家に帰るぞ!!!おい!!起きんか...』
その後は、お通夜、お葬式と、たんたんと儀式が私たち親子の前を通過していった。
母は泣いて過ごすことが多くなり、父は兄にやってやれなかったことを一つ一つ声に出しては、毎夜後悔していた。そして、親よりさきに死んだ兄に怒っていた。
精神的に危ういとこにいた両親をなんとか、日常につなぎとめることが、私の役目になっていた。
兄が死んだのは、9月1日 19歳になっていた私に人生の転換期がやってきた。DV男と出会う2年前の出来事だった。